アヌポン陸軍司令官は15日、7日に継続的に行われた強制排除行動により2人の死亡者、400人以上の負傷者が出たことに対して遺憾の意を表明した上で、仮に強制排除が実施される前まで戻る事が出来たら、指示をした政府に対して抗議していただろうと語った。同司令官によると、強制排除が行われることは事前に知らされておらず、また、強制排除は直接政府から警察に指示されていたものだったという。
これは、同日夕方放映されたch3のニュース番組にソンギッティ国軍司令官、ガムトン海軍司令官、イティポン空軍司令官及びパチャラワート国家警察本部長と共に出演した際に語れたもので、先の強制排除行動に対して責任を負うべき者に関しては、アヌポン陸軍司令官及びパチャラワート国家警察本部長共に一致して警察に対して強制排除を指示した政府側であると明言した。
また、仮にアヌポン陸軍司令官が首相だったらどの様な責任の取り方を取るかとの問に対しては、国民の血の上に立って存続できた政府は無いと指摘した上で、辞任していたであろうと語った。
一方、軍側のスタンスに関しては、アヌポン陸軍司令官は、サマック政権時代の9月2日に非常事態令が発令されて以来政府側から集会勢力に対して対応を取るよう圧力をかけられていたが、問題の解決に繋がらず、また民主主義市民連合は整然と集会を継続しているとして拒絶していた事を明らかにすると共に、クーデターに関しては、あらためて問題の解決に繋がらないとして軍側にクーデターに乗り出す考えが無いことを確認した。
しかし、意見の異なる相手を攻撃する為に王室を持ち出す行為が蔓延っている事に関しては、王室を敬愛する者として厳然たる対応を取るとした。
9月2日に非常事態令が発令された際に、新政府・反連合派の反独裁民主主義同盟の活動に関与していると指摘されているカッティヤ・サワディポン少将が、前日に行われた同盟による連合の襲撃は、当初から非常事態令発令による軍の介入を意図したものだった事を明らかにしていた。
また、タクシン元首相一家との関係に関しては、士官学校時代に同期だった事でも知られるアヌポン陸軍司令官は、一家内でタクシン元首相一家と面識があるものは自分だけで、イギリスに留学中だった娘も既に帰国しており、留学中に同元首相一家と交流する事はなく、また、母親の葬儀の際に同元首相から差し出された香典に関しても全て病院と寺院に寄付したと語った。
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