パラン・プラチャーチョン党のサマック党首は16日、1976年10月16日及び1973年10月14日の流血事件に自分は一切関与しておらず、またこれまでに一度もクーデター政権側に取り入ったことは無いとした上で、常日頃からこれらの流血事件と自分とを結びつけて語られている事に対して強い不快感を示した。
サマック党首に関しては、特に1976年10月16日の流血事件の際に、ラジオ放送を利用してタンマサート大学校内に立てこもっている外国人(確かタイ語・中国語でベトナムないしはベトコンを意味する蔑称を使用したと記憶)を構内から駆逐するよう右派系市民等を煽動し流血の惨事を引き起こすきっかけを作ったとされており、また政治家としては、一貫してタノーム政権やスヂンダー政権といったクーデター政権よりのスタンスをとってきたと見られてきた。
サマック党首によれば、当時学生活動家として知られていた同党のスラポン幹事長の事を最近知ったくらい流血事件とは縁が無かったのだという。
一方、サマック党首は、民間選挙監視団体が20日に開催を予定している民主党党首との直接討論会への参加を断固として拒絶する意向を再確認した。直接討論会の場で過去の流血事件に関与した疑惑を持ち出され、一貫して民主主義とは縁がなかった人物との印象を社会に植え付けられることをサマック党首側が嫌っているとも言われている。
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