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タイ通【 社会 】
投稿日時: 2007-06-16 02:00 2007-06-16 00:00

タグ: [ バンコク ] [ 地元新聞 ] [ 南部情勢 ]

Pros and Cons of Thaksin, Part 1

・1994年10月 第一次チュワン政権第三次改造でパランタム党枠で外務大臣に就任。資産公開で約600億バーツと一等賞に。当時からパランタム党党首のヂャムローン少将やプラソン元外相(現憲法起草作業委員会委員長)との間で県知事の公選制や首都圏交通問題等を巡った確執が表沙汰になっていたが、その後パランタム党版シーア派対スンニ派の抗争に発展し、タクシン政権対民主主義市民連合の抗争にまで後を引きずることに。 ・1995年2月 憲法改正案が可決された事により、公共事業を独占的に請け負っている企業に閣僚が関与することが禁止された事を受け外相を辞任。これをきっかけに政界復帰を視野に入れた資産隠しに動き出す。半月後に政界復帰宣言。当時の有名な発言は「経済と政治との関係をより密接にした」。その後新党結党の噂やチャーッチャーイ元首相のチャート・パッターナー党への合流の噂も出たが、最終的にパランタム党から再出馬することに。当時は財力や、実業家としての実力だけでなく「警察や軍に深い人脈をもっている」ことが評価されていた。 ・1995年5月  バンコク知事選に敗退したヂャムローン党首が政界引退を表明した事を受けパランタム党党首に就任、世俗主義的勢力がパランタム党を支配する事に。その後行われた総選挙で、選挙区枠で唯一当選を決めたのがスダーラット・ゲーユラパン女史。 ・1995年7月  チャート・タイ党のバンハーン氏が首班を務める政権に連立入りした事を受け本人の希望で首都圏交通問題担当副首相に就任。その後、「ハイテク」をキーワードにした奇抜なアイデアを矢継ぎ早に打ち出し、一躍マスコミの寵児に躍り出るが、大きな実績をあげる事無くフェードアウト。 一方、その後反タクシン(丘達新)派の旗手となるソンティ・リムトーングン(林明達)氏は、タイ航空便をチャーターしてチァン・ラーイへ繰り出すようなバブルなオヤジとしてマスコミを賑わしていた。 ・1995年9月 世論調査で次期首相候補としてチュワン氏に次いで二番手につくが、その後暫く動静が伝えられなくなる。 ・1997年8月 経済危機後に行われたチャワリット政権の内閣改造で新希望党枠で経済担当副首相に就任しタクシン + タノーンのドリームチームが誕生するも、大きな成果を上げることなく職場放棄的に両者とも辞任。当時から経済危機の際に巨額な為替差金を得ていたとの噂が広がっていた。辞任後しばらく動静が伝えられなくなる。 ・1998年5月 22人のメンバーと一緒にタイ・ラック・タイ党を旗揚げ。スダーラット女史を擁立した前哨戦のバンコク知事選(2000年7月)では敗退したが、2001年の下院選で大躍進することに。 つづく【その他の最新記事】
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